ある教師の告白
〜1999年3月発行の子育て通信父親版NO12号『しつけってなんだろうアンケート』へのコメントとして書かせていただきました。他人の子育てに口出しするなんてお節介極まりないのに、なぜ私は、『(体)罰によらないしつけ(子育て)』を 力説するのか・・・・・〜

 私は、体罰教師でした。本当に恥ずかしいというより、謝って許されるものではなく、消せるものなら消したい過去です。
 今から15年前23歳だった私は、就職できた喜びと、「よーし、やるぞ!」ト尾いう意欲にあふれ、4年生38人を受け持ちました。各学年1クラスで、自分以外は、教職経験25年以上のベテラン教師の中で、「クラスをまとめなきゃ、勉強の進度を送らせないように指導しなきゃ」という思いだけが先行しました。そのためには、「静かに全員が私のはなしを聞けるように」「忘れ物を少なくして学習する以前のしつけを徹底させなきゃ」と必死でした。大きな行事はまだしも、毎日毎日の鼓笛隊練習に行間体育、小さな集会など、「早く早く!」と子どもを急かせ、どうにか毎日こなすのに精一杯。とても、子どもが興味をひきそうな発問の仕方や、教材研究にまで頭が回らない力のナい教師でした。なのに、「父母からは良い評価を得たい」「同僚の先生方方からもよく頑張っていると言われたい」私でした。

 それを手っ取り早く出来る方法が、体罰でした。まず、忘れ物です。1日に、3個も5個も忘れてくる子どもたちに困り果てた私は、『1日3回忘れ物をしたら、手をたたく』という罰を作りました。あの3回目を言いに来る時の暗い子どもたちの顔を思い浮かべると・・・・・許されるなら、やり直させて欲しい。
 罰というのは慢性化し、やがて効果が薄れてくると、『2日続けて3回ずつ忘れたら、もっと痛くたたく』という書くのに忍びないほど愚かな罰を作りました。他にも、何度口で注意しても乱暴を辞めない子や、決まりを破る子にも手を上げていました。
 あの頃の私は、「何度、口で言ってもわからない子は、たたいてしつけるしかない。悪いことをしたら、大人は許さないということを教えなければならない」と信じ込んでいました。

 その結果、授業中は静かで、集会などでの態度は立派でと言われる4年生になりましたが、「来年も先生のクラスがいいな」と言ってくれる子は1人もいないという、教師にとっては最も辛い結果となり、私は、23年の人生の中で1番といって良いほど落ち込みました。
 たたくこと・怒鳴ることでは、どの子も成長させられませんでした。乱暴を辞めない子・決まりを破る子は、親にも強く頻繁にたたかれている子が多く、その後の彼らの成長をみてみると、大人の見えない所で、自分の物差しに合わない人や社会のルールを傷つけていました。
 ウソを頻繁につく子もいました。ウソをつくので友達にも嫌われ、みんなから「総スカン」をくっていたので、私はそのねっこの原因には気づかず、その子をのけ者にするみんなの方を責めていました。でも結局、私自身も何度もウソをつかれ、ついにその子もたたいてしまい、泥沼にはまったのでした。

そこまで経験しても、「体罰は犯罪である」と言い切れる今とは全然違って「どうしようもない時は、たたくしかない」と思っていました。ただ、「たたいてもその場はおさまるけれど、子どもは変えられない」事を知りました。
 その後、私は、大人(教師)をてこづらせる子どもさん、例えば、言葉でしつけができない子・すぐ乱暴する子・友達ができない子・・・・・に出会うと、その親御さんの子どもとの接し方を知ろうとしました。共通していたのは『子どもを邪険に扱っていること』でした。子どもが欲しがれば、安いものなら買ってあげるので、甘やかしているように見えるけれど、親の機嫌で子どもを感情的に怒鳴りまくったり、なぐたりするのです。たたく基準が親の気分なのです。人間として生きる上で正しいことか悪いことか、社会のルールに照らしてぜったい許されないことか・・・とかでもなく、ほとんど親のその時の感情任せなのです。

 自分が親になり、さらにいろいろな親御さんを知ることとなりました。すると、暴力的なしつけを受けた人は、自分の子どもにも体罰でしつけをしているなあと思うことが多くなりました。精神医学の本などに書かれていますが、「どんなにいやだいやだと思っていても、親にされたことと同じことを子どもにしてしまいやすい」ということです。
 私が、受持ちの子どもをたたいたのは、私が教師としてひどく未熟で、弁解の余地はありません。ただひとつ、何年か経ってから気づいて愕然としたことがあります。私が自分の感情を押さえられずに手を出したその時の理由や、たたき方が、実は私自身も子どもの時に経験したものだったのです。私の親は感情に任せて起こることはほとんどなく、たたかれる時も冷静でした。どんなときにたたかれたかというと、ふざけて遊びながら食べてひどくこぼした時、「この手が悪い」と手をたたかれたこと。あと、嘘をついた時と「ごめんなさい」と言えない時にたたかれました。それと、私が小学校4年生の時の先生は忘れ物をすると、その数だけゲンコツをしたのです。1つ忘れたら1つ。中には、毎日2、3回たたかれる子もいたけれど、「私は気をつけなきゃ」と他人事のように見ていただけ。たった1度、消しゴムに名前を書き忘れただけでゲンコツされた時は、痛かったし、悔しかった。
 忘れ物をしたらたたく。手をたたく。嘘をついたり、ごめんなさいをいえない子を見ると、ひどく腹が立つ・・・・・・・・・・「何を大人になって」と言われそうですが、自分が受けた暴力はいつかは外に出してしまうものなのではないでしょうか?本人は「全然気にしていないもん!」と意識の上ではそう思っても、気にしていないからこそ、心(体?脳?)の中にその怒りは沈殿し澱のように溜まっていくのではないでしょうか。抵抗できない理不尽な扱いを受けると、そうなってしまうと思うのです。

 同じたたかれた経験でも、回数が少なかったり、子どもがある程度(10歳以上)大きくなってからの場合だと、子どもが「あの時たたかれていやだった!」と意識(批判)できるので、自制の気持ちを働かせられるのではないでしょうか。
 自分が幼いときから、長い間ピアノの練習を強制されて、すごーくいやがっていた友達が、母親になったら、なんと自分の娘のピアノの練習を目を吊り上げながら腕組みしてみているとか・・・。男性との付き合いを厳しく制限され監視されていた友人ほど、男性遍歴がすごいとか・・・。姑に長い間つらくあたられてきた女性ほど、自分が姑になった時に、嫁に辛くあたってしまうとか・・・。そういう人を何人も知って、私は人間の心の不思議を思いました。頭ごなしに押さえつけられ、自分の頭で考える機会を与えられずに強制された行為(そのさいたるものが暴力)は、その強さが強いほど、その頻度が高いほど、世代を超えて繰り返されると思います。

 ここで(ちょっと恥ずかしいのですが)、「体罰としつけは全く違うこと」を教えてくれた人を二人紹介します。中谷義弘氏(夫)と野口良行先生です。夫は1度も体罰を受けずに育ったそうです。7人兄弟の末っ子で経済的には裕福ではなかったし、お母さんも忙しくこれといったしつけを強制されたこともないようです。ただ、親や兄姉のしていることを見て、日常生活に必要なことは身につけたということです。私がすごい!と感心するのは、辛抱強く子どもの心に寄り添うことです。私と違って、子どもを邪険にすることが、ほとんどありません。私は、彼を知って変わりました。(こんなところでのろけて、どうすんねん) 野口先生からは、私が経験したごじゃごじゃは、こういうことだったんだよという、答えをいただきました。人間の脳(心)のしくみや発達からいうと、それは当然のことだったのです。

 『子育て通信』も今年で7年目に入りますが、なぜこんなにしつこく子育てにかかわるのかと言うと体罰教師だった私だからこそ、人間(子ども)は罰では変わらない(しつけられない)ことを、広く多くの方に知って欲しい・・・・・・・・という思いからかもしれません。
 資料1にあるタレントのビートたけしさんが語る「激しい暴力ほど激しい愛に変わる」などという考えが、広く一般的になり、体罰の世代を超えた繰り返しが行われることを危惧します。
 「厳しいしつけ」とは、親にとって厳しい(つらい・せつない・がまん)ものなのではないでしょうか。アンケートで、TOSHIさんが書いている「どんなに殴りたくても殴ることをしない親父の姿」や、きらら397さんが書いている「おやつの時間・夜のテレビ・欲しいものを買ってあげない 親のがまん」が、求められているのではないでしょうか。 おにろくさんが、「しつけ以前の子育てを大事にしなければならないと思う」と書かれていますが、乳幼児期に十分に愛され、認められ、健全な自己愛(自己肯定感)がはぐくまれていないから、言葉ではしつけられない子どもさんが増えてしまっているように思えてなりません。
資料1(ビートたけし著・愛でもくらえ)を紹介している新聞の書評より)
前略
貧乏から脱出するには学歴しかない。著者の母はそんな信念の下、野球などの遊びを禁じ、ひたすら勉強を命じる。怒ると、とてもおっかない。何しろほうきでたたくときは、柄の方でごつんとやるのだから。そういう厳しい育て方をした母親に著者は感謝し、「振り子の愛情論」を説く。振幅の片側を暴力、その反対側を間とすると、振り子の大きい、つまり激しい暴力ほど激しい愛に変わる可能性がある。中途半端な暴力は中途半端な愛でしかない。親が死ぬ気で子どもをたたけば、子どももちゃんと愛を感じると言う。
中略
「大事な問題をギャグで紛らわせず、本音がストレートに出ている」と担当編集者。30代前半の女性の読者からは、「たけしさんが生きている間は、男を信用できる」との反応が返ってきた。
2月4日発売。2週間で、4刷、8万部に達した。

*社会的責任を考えるとき、この編集者や、この新聞の書評を書いた方に憤りを感じます。

センキチのページへ